『天国の門』
米国映画史上に残る失敗作として知られる『天国の門』について書き散らしてみる。
監督であるマイケル・チミノは『ダーティハリー2』(1973)の脚本がイーストウッドに気に入られ、『サンダーボルト』(1974)で監督デビュー。続く『ディア・ハンター』(1978)で監督としての名声を早くも確立。しかし、その勢いのまま製作した本作は莫大な予算超過を殆ど回収できず、製作会社のユナイテッド・アーティスツは倒産に追い込まれ、自身もハリウッドから干されてしまう。まさに天国から地獄...。
本作は5時間以上に及ぶ作品を219分に編集してプレミア上映されたが、そこでの評判は芳しくなかった。こうした不評の理由として、米国史の汚点であるジョンソン郡戦争を題材としたことが挙げられている。また、チミノによる脚本にはかなりの脚色が加えられており、史実とは異なることもさらに反感を呼ぶものとなったのだろう。しかし、映画が史実をそのまま語らなければならない決まりなどまったくないはず。こうした批判は見当はずれと言わざるを得ない。にもかかわらず、本作はこれらの批判に屈し、更に70分も短く編集されて一般公開された。この劇場公開版を観ていないので確かなことは言えないが、これだけずたずたに切り刻まれてしまっては作品が破綻していても仕方ないだろう。結果として公開直後からメディアによる批判に晒され、興行は大失敗となってしまう。
しかし、失敗作=駄作ということではない。現在流通しているDVDにも収録されている219分版を観れば、それは一目瞭然である。その一方で、本作を映画史に残る傑作とは決して言えないし、チミノの最高傑作とさえ言えないことも確かである。結局、本作は『ディア・ハンター』の二番煎じでしかない。戦争という避けられない事態に翻弄される男女3人の恋愛関係を軸としながら、死んでいった者と生き残った者の悲劇を描いていく構成は『ディア・ハンター』と同じ。しかし、ジム、ネイト、エラの三角関係は『ディア・ハンター』におけるマイケル、ニック、リンダの微妙な関係と比べ、やや単純すぎる。また、ジムの大学の友人であり、敵対関係となってしまったウィリアムの描き込みが弱いのも欠点。ジムとウィリアムの関係をもっと深く描いていれば、物語の深みが更に増していたであろう。
役者に目を転じてみると、ネイトを演じたクリストファー・ウォーケンやエラを演じたイザペル・ユペールは文句なしに素晴らしい。ジェフ・ブリッジスなど脇役も堅実。僅かしか出演シーンのないジェフリー・ルイスやミッキー・ロークも印象深い。しかし、肝心の主役ジムを演じたクリス・クリストファーソンが...。『ディア・ハンター』のデ・ニーロと比べるのは酷かもしれないが、本作に出演している他の役者と比較しても印象が薄い。決して悪い役者とは思わないが、本来は主役よりも脇役向きの役者と言えるだろう。
デヴィッド・マンスフィールドによる音楽も決して悪くはないが、これも『ディア・ハンター』に比べるとやはり分が悪い。そんな中、『ディア・ハンター』と比べても見劣りしないのがヴィルモス・ジグモンドによる映像の数々(『ディア・ハンター』でも撮影監督をしているのだから、見劣りしないのも当然か...)。暖色系の色合いによる美しいショットやダンス・シーンに代表される流麗なカメラ・ワークは、さすが名匠と言える素晴らしさ。この映像の美しさこそ、本作最大の見所と言えるだろう。しかし、最大の見所を撮影監督の仕事に持っていかれてしまうところが、本作の限界なのかもしれない。
ジョンソン郡戦争について
上述したように本作で描かれている物語はジョンソン郡戦争を題材としているが、かなりの脚色を施し、虚実ない交ぜとなっている。記憶を補完するためにも、ジョンソン郡戦争について書き留めておく。
ジョンソン郡戦争は1892年ワイオミング州ジョンソン郡で起きた戦争=事件。貧困に喘ぐ後発移民のロシア・東欧系小牧場主と富裕層である先行移民のアングロ・サクソン系大牧場主との闘争である。きっかけとなったのは、小牧場主による牛泥棒の多発。それに対し、大牧場主はリンチによる殺人など行き過ぎた自衛へと走る。さらに、大牧場主の組織であるワイオミング牧畜業者協会(WSGA)によって雇われた殺し屋などで構成された50人の遠征隊は独自のブラック・リストによる虐殺を開始。最終的には遠征隊とジョンソン郡保安官レッド・アンガスにより集められた200人の民兵隊との戦闘行為へと発展。民兵隊に包囲された遠征隊は、ワイオミング州の知事を通じてベンジャミン・ハリソン大統領へ助けを求める。大統領の命を受けた第6騎兵隊の武力介入により、戦争は終結。遠征隊及びワイオミング牧畜業者協会のメンバーは逮捕されるが不起訴処分に。その後も火種は残るが事態は収束へと向かう。
本作に登場する主要人物の名前はジョンソン郡戦争に関係した人物から取られているが、名前を拝借しただけであり、実在した人物の人生とは異なる。以下、分かる範囲内の人物を挙げてみる。()内は本作での役柄と演じている俳優。
ジム・エイヴリル Jim Averill (ジョンソン郡保安官、クリス・クリストファーソン)
ジョンソン郡で食堂兼雑貨屋を営んでいた商人。牛泥棒とは全く関係のない人物でありながら、リンチにより殺害される。本来の綴りは、Jim Averell。
エラ・ワトソン Ella Watson (娼婦、イザベル・ユペール)
“Cattle Kate”の異名を持つ西部開拓時代の伝説的人物。ジム・エイヴリルの妻。夫と同じく、リンチにより殺害される。
ネイト・チャンピオン Nate Champion (殺し屋、クリストファー・ウォーケン)
小牧場主。WSGAの雇った50人の遠征隊による最初の犠牲者。
フランク・カントン Frank Canton (牧畜業者協会メンバー、サム・ウォーターストン)
元ジョンソン郡保安官だが、WSGAに雇われた殺し屋。1927年死去。
ウィリアム・C・アーヴィン William C. Irvine (牧畜業者協会メンバー、ジョン・ハート)
50人の遠征隊の1人である州水道局長。
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『キング・クリムゾン/ザ・パワー・トゥ・ビリーヴ』
“Nuovo Metal”を標榜して発表されたキング・クリムゾンの2003年作『ザ・パワー・トゥ・ビリーヴ』について書き散らしてみる。
01.ザ・パワー・トゥ・ビリーヴ1:アカペラ
『ポセイドンのめざめ』(1970)収録曲「平和」の様な存在となるアルバム・タイトル曲。イコライジング処理されたブリューのヴォーカルによって主題が歌われる。
02.レヴェル5
リフ主体のヘヴィな楽曲。ガンのプレイとパーカッシヴなマステロットのドラミングは、70年代クリムゾンのウェットン&ブラッフォードを思わせる。
03.アイズ・ワイド・オープン
乾いた叙情性を感じさせる楽曲。80年代クリムゾンを想起させる音の質感を持つ。
04.エレクトリック
『ザ・コンストラクション・オブ・ライト』(2000)のアルバム・タイトル曲に近い曲想だが、よりヘヴィな方向へシフトしたサウンドは70年代クリムゾンのインプロ・ナンバーを思わせる仕上がり。
05.ファクツ・オブ・ライフ:イントロ
陰鬱なサウンドスケイプから重厚なドラムス。
06.ファクツ・オブ・ライフ
まさにクリムゾン流ヘヴィ・メタルとでも言うべき明快な楽曲。
07.ザ・パワー・トゥ・ビリーヴ2
東洋(ガムラン)風パーカッションが、「太陽と戦慄パートI」(1973)を想起させる楽曲。
08.デンジャラス・カーヴス
反復するリズム・パターンを軸として徐々に盛り上がっていく楽曲。『ポセイドンのめざめ』収録曲「デヴィルズ・トライアングル」を、よりリズミカルかつスマートにしたような雰囲気。
09.ハッピー・ウィズ・ホワット・ユー・ハフ・トゥ・ビー・ハッピー・ウィズ
「ファクツ・オブ・ライフ」以上に明快かつキャッチーなクリムゾン流ヘヴィ・メタル。
10.ザ・パワー・トゥ・ビリーヴ3
浮遊感のあるサウンドスケイプからヘヴィな展開へ。
11.ザ・パワー・トゥ・ビリーヴ4:コーダ
ライヴ録音(1997年12月7日コーンウォールの教会)されたサウンドスケイプにブリューのヴォーカルをオーヴァーダブした楽曲。アルバムを締めくくる静謐なコーダ。
“ダブル・トリオ・クリムゾン”から続く、70年代と80年代の折衷形クリムゾンの集大成と言える作品であり、随所に過去のクリムゾンで試みられた方法論やサウンドを散りばめているが、そのサウンドはどこまでもヘヴィ。フリップにとってのクリムゾンは、この破壊的なヘヴィネスに尽きるのだろう。それは、彼にとって初めて満足のいくサウンドを確立した『太陽と戦慄』(1973)から『レッド』(1974)までの3作品にも顕著であり、更に遡れば1st『クリムゾン・キングの宮殿』(1969)の1曲目「21世紀の精神異常者」へと行き着く。結局、1stの呪縛から逃れることのできないフリップが今でもそこにいるのかもしれない(ファンも含めてかもしれないが...)。しかし、前作『ザ・コンストラクション・オブ・ライト』が中途半端にすら思える突き抜けたヘヴィなサウンドは素直に格好良いと言えるものであり、本作を傑作と呼ぶことには躊躇を覚えない。と同時に、この方法論で本作以上の作品は作れないとも感じているのだが...。
個人的にはクリムゾンの長期活動休止≒解散をしてもよいのではと思うのだが、1994年に復活後最初の作品を発表して以来、現在までマイナー・チェンジをしながら活動を続けているクリムゾンの活動形態は以前のそれとは明らかに異なるものである。そうなると、フリップの口から「クリムゾンの長期活動休止≒解散」という言葉は出てこないかもしれない。いずれにしても今後の動向から目が離せないことは確かである。
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『ジェスロ・タル/A』
当初はイアン・アンダーソンのソロ・プロジェクトとしてスタートしたが、最終的にジェスロ・タルの作品として発表された『A』。今回はジェスロ・タル初の映像作品『スリップストリーム』とのカップリング盤について書き散らしてみる。
01.十字砲火
1980年4月30日に起きた駐英イラン大使館占拠事件をモチーフとした楽曲。エディ・ジョブソンによる多彩なキーボードと従来のタル流ロックの融合を試みたサウンドだが、中途半端な感は否めない。
02.ファイリングデイル・フライヤー
ヨークシャーに駐留する米国のファイリングデイル空軍基地に装備されたミサイル防衛システムをモチーフとした楽曲。エディ・ジョブソンによる多彩なキーボードと従来のタル流ロックの融合を試みたサウンドだが、中途半端な感は...。
03.ワーキング・ジョン、ワーキング・ジョー
エディ・ジョブソンによる多彩なキーボードと従来のタル流ロックの融合を試みたサウンドだが...。
04.ブラック・サンデー
エディ・ジョブソンによる多彩なキーボードと従来のタル流ロックの融合を試みた...。
05.プロテクト・アンド・サヴァイヴ
核攻撃からの防御と生存法が書かれた英国政府発行のパンフレット『Protect And Survive』(1980年発行)をモチーフとした楽曲。イントロでのエレクトリック・ヴァイオリンとフルートのユニゾンは格好良い。
06.バッテリーがない!
エディ・ジョブソンによる多彩なキーボードと従来のタル流ロックの融合を...。
07.ユニフォーム
エレクトリック・ヴァイオリン、ヴォーカル&フルートの絡みは面白い。
08.四輪駆動 (ロー・レシオ)
エディ・ジョブソンによる多彩なキーボードと従来のタル流ロック...。イコライジング処理されたコーラスも今となっては古臭い。
09.パイン・マーチンのジグ
タル流ジグ・ロック。本作のハイライト。
10.アンド・ファーザー・オン
劇的な展開の楽曲。エディ・ジョブソンによる多彩なキーボードと従来の...。
エディ・ジョブソンによるキーボードを中心としたアレンジは確かにプログレ的と言えるものだが、それは形骸化したプログレでしかない。また、モダンかつ洗練されたサウンドと従来からの持ち味である野暮ったいサウンドとの相性も決して良いとは言えない。楽曲自体の出来は決して悪いものではないのだが、中途半端な印象しか残せない作品となってしまった。
![]() | 『Jethro Tull/Slipstream』 1981年Chrysalis 監督:David Mallett 脚本:George Stone 撮影監督:Nick Knowland 出演:Ian Anderson, Martin Barre, Dave Pegg, Mark Craney, Eddie Jobson |
01.イントロダクション
『アクアラング』(1971)のジャケットを思わせるコスチュームに扮したアンダーソンや英国の傑作TVシリーズ『プリズナーNo.6』(1967〜68)へのオマージュとされている巨大風船が登場する。
02.ブラック・サンデー (Ian Anderson)
アレンジ面でスタジオ・ヴァージョンとの違いはないが、ライヴならではの勢いのある演奏と映像が伴うことで印象は良い。色違いのジャンプ・スーツに身を包んだ各メンバーだが、アンダーソンとバレの野暮ったさは尋常ではない。インパクト絶大。
03.ダン・リンギル (Ian Anderson)
プロモーション・ビデオ。迷彩服のアンダーソンが海岸で弾き語る姿を捉えた映像。
04.ファイリングデイル・フライヤー (Ian Anderson)
『A』のジャケットに使用された航空管制室のシーンが登場するプロモーション・ビデオ。左右のチャンネルが逆となっている間奏の短いヴァージョン。
05.大いなる森 (Ian Anderson)
スタジオ・ヴァージョンの間奏を最初に持ってきた構成。あるいは、抜粋での収録か?
06.逞しい馬 (Ian Anderson)
静と動の対比が見事な名曲。エレクトリック・ヴァイオリンをフィーチャーするなど、アレンジや構成にかなりの違いがある。
07.スウィート・ドリーム (Ian Anderson)
アンダーソンがドラキュラ伯爵と「イントロダクション」に登場した男の一人二役に扮し、クラシック・ホラー映画の挿入や巨大風船、「ファイリングデイル・フライヤー」にも登場するパンスト(?)を被った女性、『パッション・プレイ』(1973)のジャケットを想起させるバレリーナなども登場するプロモーション・ビデオ。音源は『ジェスロ・タル・ライヴ』(1978)収録ヴァージョンのモノラル短縮版。
08.ロックンロールにゃ老(とし)だけど死ぬにはチョイと若すぎる (Ian Anderson)
『日曜日の印象』(1968)のジャケットを想起させる老人メイクなどメンバーによる各種コスプレとコミカルな演技を堪能できるプロモーション・ビデオ。モノラル版。
09.スケーティング・アウェイ (Ian Anderson)
アンダーソンのヴォーカル&アコースティック・ギターを中心に、ジョブソンがミニ・ギター(?)、ペグがマンドリン、クレイニーがベースに楽器を持ち替えての演奏。バレは演奏に参加していないようだ(タンバリンらしき音も聴こえるが)。
10.アクアラング (Ian Anderson/Jennie ANderson)
迫力のある演奏。アコースティック・パートでのエレクトリック・ヴァイオリンとの絡みも素晴らしい。
11.蒸気機関車のあえぎ (ロコモーティヴ・ブレス) (Ian Anderson)
ジョブソンのエレクトリック・ヴァイオリン・ソロもフィーチャーされたモダンなアレンジ。最後に「ブラック・サンデー」の一節が再現される。巨大風船も登場する。
『A』発表に合わせて行われたツアーからのライヴ映像とプロモーション・ビデオで構成された作品。監督のデヴィッド・マレットはデヴィッド・ボウイなど数多くのプロモーション・ビデオを撮っているが、はっきり言って才能の感じられない人物。彼の特徴でもあるソラリゼーションを始めとした映像ギミックも全くセンスが感じられない。それは本作でも変わらず、映像的には観るべきところはほとんどない。かろうじて本作が鑑賞に堪えうる作品となっているのも、アンダーソンの芸人然としたキャラクターの放つ魅力とバンドのライヴ・パフォーマンスがあるからと言ってよいだろう。
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『ヘルハウス』
70年代に多数製作されたオカルト映画の中でも傑作として名高い、ジョン・ハフ監督作『ヘルハウス』について書き散らしてみる。
科学者と霊媒が協力して霊に立ち向かうという設定。オチは若干弱いものの霊の正体が何者なのかというミステリーの要素を盛り込み、観る者をぐいぐいと引き込んでいく展開。原作者リチャード・マシスンによるこの秀逸な脚本を、残酷描写やこけおどしは控えめに作品の雰囲気を重視した演出で映像化したのが職人ジョン・ハフ。
英国らしい雰囲気を醸し出す、靄に包まれたベラスコ邸の情景。陰影に富んだ邸内の映像。極端な顔のアップや仰角、広角、俯瞰ショットを使い分けた不気味な構図。電子音楽作曲家のデライア・ダービシャーとブライアン・ホッジソンによるスコアも相俟って、じわじわと恐怖を醸成していく。実に見事な演出。
恐怖映画に欠かせないエロティック描写も、本作の特筆すべき点。バレット博士の妻アンは霊の仕業によりニンフォと化し、霊媒フィッシャーを誘惑する。彼女が成熟した女性のエロスを体現しているのに対し、霊媒フローレンスが体現しているのはロリータのエロス。彼女が血を流す様や霊と媾合する描写は、霊媒=シャーマンの処女性が汚されることを暗示させ、強烈なエロティシズムを放っている。個人的には好きなタイプの女優ではないが、本作でフローレンスを演じたパメラ・フランクリンの熱狂的なファンが存在するのも当然と言えるだろう。
霊媒フィッシャーを演じたロディ・マクドウォールの好演も見逃せない。また、ノンクレジットながらエメリッヒ・ベラスコを演じているのはマイケル・ガフ。英国ハマー・ホラーなど恐怖映画に数多く出演している俳優。近年では『バットマン』(1989)の執事アルフレッド役としても知られる(ティム・バートンらしいキャスティング)。
秀逸な脚本、職人監督の的確かつ手堅い演出、役者の好演、エロティシズム...。これだけ揃えば、ジャンル映画の傑作となるのは当たり前。
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『鏡』
旧ソ連を代表する巨匠アンドレイ・タルコフスキーの傑作『鏡』について書き散らしてみる。
主人公の少年時代の記憶と現在が綴られていく本作は、タルコフスキーの自伝的要素を含む作品。父親がいなくなり、母親の手一つで育てられた少年時代という設定は、そのままタルコフスキーの少年時代と重なる。こうした個の記憶により綴られるエピソードは、ロシアの歴史=事実に否応なく翻弄されている。度々挿入される様々な記録映像もそれを補完する。
本作の時間軸は、物語が進むにつれて著しく交錯していく。少年時代の主人公と現在の主人公の息子、少年時代の母親と現在の妻が同じ役者によって演じられ(まるで合わせ鏡のように)、さらに父親である詩人アルセーニー・タルコフスキーの詩が、息子である監督によって朗読される。モノクロとカラーによる映像も過去はモノクロ、現在はカラーといった単純な構造を取らない。現在は過去の記憶に侵食されていくかのようで、夢ともつかない記憶の断片が混ざり合い、観る者を幻惑させる夢幻的心象世界を表出している。
長回しを多用した緩慢なカメラの動きが映し出す静謐な情景。油絵を観ているかと錯覚を覚えるほどの美しさを感じさせる。そんな中、突如としてノイズ・ミュージックと共に描かれる緊張感に満ちた悪夢のようなシーンに戦慄を覚える。タルコフスキー作品の重要なモチーフである水のイメージは、降りしきる雨や滴り落ちる滴だけではなく、画面全体をも覆い尽くし湿り気を帯びた質感を画に与えている。さらに、燃え盛る炎のイメージや草原を吹き抜ける風のイメージ。イメージの奔流...。
難解と言われる本作だが、別に理解する必要はないのかもしれない。イメージの奔流とそれらを補完する音楽によって織り成される詩的な世界に唯々身を委ねているだけで、至高の映画体験ができるのだから。そもそも、こんな戯言を書き散らしていること自体、何も解っていない証拠なのだろう...。
特典について
現在流通しているDVDには、関係者へのインタヴューやドキュメンタリーが収録されている。その中でも、『惑星ソラリス』(1972)と本作、及び『ストーカー』(1979)に参加した作曲家エドゥアルド・アルテミエフによって語られる、タルコフスキーの映画音楽観は大変興味深いものがある。
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